学んでますか、最近?

褒めるブログ。時に皮肉ったり煽ったり。

短水路は水たまり。長水路は湖。🏊

 

 近くの50mプールがある温水プールに行ってきた。

 

 もともと水泳部だったので長水路には慣れてなくはないが、余りにも衝撃を受けたので、ここに書き記す。

 

 今日の長水路深さが2mなのだ。

 

 2mですよ?

 

 あし、付かないやん!

 

 一応スタート・ターン地点に立つスペースがあるとはいえ、スカーリング(手を面裏にして掻くこと。だよね?)するか、コースロープにつかまってないと溺れる。 

 

 そんな感じで深いので、例えばフリー(クロール)やブレ(平泳ぎ)で泳いでいると、プールの底が遠いので、短水路に比べて自分の泳ぎが遅い感覚を覚える。

 

 それに加え、錯覚かもしれないが水が重い感がある。

 

 そしてなんといっても長水路は広い。当たり前だけど。

 

 もぉなんかね、短水路と格が違うんすよ。

 

 短水路が水たまりだとしたら、長水路は湖くらい、違う。

 

 だから、おもろい。(笑)

 

 

「オレはこんな仕事をしたかったんじゃない!!」とは何か?  ━━━ひとつの就活論


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 このニュースを見た時、真っ先に「海上保安庁が活躍したんだろうなぁ〜」と思った。

 

 というのも、最近ずぅ〜っと、佐藤秀峰氏の「海猿」にハマっているからだ、

 

 

 本当にこの海猿面白くて、Kindle Unlimited で2回読み返したけど、何度も読み返すに耐えるものだよホントに。

 

 あまりに面白いものだから、紙の本で買って家に愛蔵版的な形で残しておきたいとすら思うし、将来子供を、特に男の子を設けたとしたら是非読ませたいと思うようなものだ。

 

 それくらいこのマンガには熱量を感じるし、それはまるでパテック・フィリップの腕時計のように、親から子へ、世代から世代へ受け継がれてしかるべきマンガだと思っている。

 

 脱線した。

 

 ニュースのこの男性はどのような形で亡くなったのかは分からないけれど、溺れたのだとしたら潜水士が揚収*1したと思われる。

 

 海猿にもあるけれど、潜水士の仕事は揚収が少なくないようで、海中の遺体は時に紫色になっていて倍以上に膨らんでいたり、目などを魚に食べられていたりなどしている場合があるそうだ。

 

 海猿では主人公の仙崎大輔の後輩の潜水士、入谷が揚収を初めて経験し、いま書いたような揚収のケースもあるということを先輩から聞き、

 

「オレはこんなことをしたくて潜水士になったんじゃない!!」

 

 と、叫ぶ。

 

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 この言葉、大変深いものではないだろうか。

 

 アルバイトを始めるなり会社に入るなりで仕事を始めたときに、思ってもないような仕事をさせられることで、カルチャーショックという大きなギャップを感じる人は少なくないだろう。

 

 そのギャップを乗り越えるか、或いはドロップアウトしてしまうかは、その人とその周りのフォロー次第かと思うが、一番大事なのはカルチャーショックを感じる前に何をすべきか、知っておくべきか、ということではないだろうか。

 

 海猿の入谷くんであったら、実際の現場での主な業務を知識として知っているだけでなく、ケースとしての実際の現場のリアルな状況や、現場の先輩方の心境を知っておくべきだったと思われる。

 

 ここから飛躍すると、就活においては必ずOB訪問やインターンを経験しておくべきではないかと思う。

 

 私自身もそうなのだけれど、入社して3年以内で辞める人が3割以上というのは、自分が思い描いている現場と実際の現場にギャップが大きいからに違いなく、それが心身ともに耐えられない状況になってしまうからだと思う。

 

 それを少しでも抑える為には、OB訪問で現場のリアルを聞き、インターンで現場のリアルを体験することではないかと思う。

 

 それが難しいとしたら、説明会やネットでの求人情報欄に、現場のリアルを明記すべきだ。

 

 まぁ今では会社の口コミサイトで、現場のリアルなことが分からないでもないが、匿名だし、そもそもオフィシャルなものでもないので、信憑性が薄い。

 

 なので、今後の就活においては、

  • 会社情報でデメリット的情報をもしっかり公開
  • OB訪問
  • インターン

 この三つを義務化までもいかないまでも、必ず行うことで、かなり満足のいく職業人生を歩むことができるのではないだろうか。

 

 

 海猿の新人潜水士の入谷の話に戻るけれど、そもそも揚収という仕事が好きな人なんて一人もいないはずだ。

 

 死刑囚を死刑にする為の仕事が好きな刑務官なんているはずがないのと同様に。

 

 これらは公務として、世のため人のため、遺族の為に行われるものだから、自分がしたくてする仕事でないのは当然であり、やりたい仕事がある人は公務員になってはいけないとも言えるかもしれない。

 

 義務感というのだろうか、「オレがこの国を、地域を守っているんだぜ」「やりたいことではなく、やるべきことをやるんだ」という誇り、プライドだろうか。

 

 こういった自分の身を捧げるという奉仕の気持ち、モチベーションがなければ、きっと公務員としての仕事は決してできないのだろう。

 

 そう考えると、好きな仕事、自分に向いている仕事ができるということは、ある意味とても恵まれていて贅沢なものだ。

 

 私アルテマ自身、いろいろあってまた学習塾の先生の仕事を7月から始めるわけだけれど、これもまたとても贅沢とも言える。

 

 海猿の入谷の台詞からこんな結論になるとは思わなかったが、仕事については今後も考えていきたい。

 

 

*1:海上保安庁が遺体を陸へ引き上げることを、遺族に配慮した言い方

辞めた会社はいい会社

 

 退社手続きをしに、会社へ。

 

 退職手続きを書き、上長や人事の方と話す。

 

 「こういう形になってしまって残念だけれど、うちの会社に入って経験したことが、今後の君の人生にとってプラスになることを願ってるよ。」

 

 と言ってくれて、

 

「いい会社だなぁ〜」

 

 と、思わざるを得なかった。

 

 さ、次いこか次!

 

 

IKEA!

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 一階の倉庫がすごい!

 

 特に2枚目の写真のところ、なんというか、奥からシャッターが「ダン!ダン!ダン!ダン!ダン!」と、閉まってきそうな感があって、映画みたい(笑)

 

 

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 そしてIKEA食堂。

 

 ドリンクバーが120円というのは破格だ!

 

 フィッシュ&チップスも、思った以上に大きくてアツアツサクサクで、んまい!

 

 

海!海いいよね!

 

 ここのところずぅ〜っと、佐藤秀峰の漫画にハマっている。

 

 特に海猿は二周目だ。

 

 この海猿に影響されて、先々週くらいから時間があれば近くの市民温水プールで泳ぎまくっている。

 

 もともと僕は中高で水泳部だったのでスイスイ泳げるのはやはり気持ちいい。

 

 なんといっても1番気持ちがいいのは、プールの中にいながら汗をかく瞬間だ。

 

 これがなんとも贅沢なひとときなんだよな。

 

 そんな感じでよく泳いでいるので、胴体の横が引き締まってきて、腹筋も久々に現れ始めてきた。

 

 ここ2年くらいはウエスト90センチくらいの、ずっとメタボな体型で、かつ体重も72キロくらいと、全盛期の高校時代とは8キロくらい太っている。

 

 水泳を再開させたことで体重も2キロくらい落ち、ウエストも引っ込んできた。

 

 それでいて、朝もスッキリと起きられるようになった。

 

 なんと、いいことずくめなのだ、これが。

 

 やっぱり水泳って最高のスポーツだな。

 

 こんな風な状況であり、かつ上記したように海猿にハマっているので、ダイビングにも俄然興味が出始めてきた。

 

 

 この前本屋さんで立ち読みしたら、こんなことが書いてあった。

 

「ダイビングができるようになると、海があるところならどこでも遊び場になる!

地球の70%が海だから、地球を遊び尽くすことができます!」

 

 なるほど、そういえばそうだな。

 

 現状のところ、あんまりお金も時間もないので気がすすまないけれど、夏になったら海で泳ぎたいな、とは思ってる。

 

 海。

 

 夏の海で海水浴ってほとんどしたことがないし、海でガチ泳ぎしたいから。

 

 夏に休みの時、友人誘って海に行こう。

 

 

なっ…背もたれ…?!

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 東海道新幹線のホームの休憩室。

 

 椅子の背もたれが不自然に低いことが気になった。

 

 「な、なじぇ…?」

 

 考えた結果、ここはホームだから、背もたれに横たわってうっかり爆睡したらおしめぇだからだろうな。

 

 その点、この椅子は人間工学? 人間心理? をうまく付いて設計されてるなぁ〜、と感心したのだ。

 

 

齋藤孝批判、あるいは身体的センサーについての一考察

www.nikkei.com

 

 冒頭から、

 「月40時間以上の残業でも平気」 

  とあるけれど、そもそも彼彼女らはそれくらいの残業を経験したことがあるのだろうか?

 

 残業には様々な種類がある。

 

 自分の為の業務の残業であったらきっと問題ないだろうけど、あまりにも自分の能力を超えている業務や、自分に全く関係ない業務、寧ろ自分ではなく別な人がやるべき業務なのに、その人が理不尽に押し付けてくるであるとか、周りがそんな自分の様子を見て手伝ってくれないとか、ましてや周りに自分から協力を依頼しても無視されるであるというような状況であったら、人材は「壊れる」可能性が高い。

 

 私も経験があるのでそのように思う。

 

 要は、会社員として働く限りは自分に全く関係ないような業務もしなければいけないのは宿命に近いものがある。自営業じゃないんだから。

 

 でも、そんな業務も全部「込み」で熱血に取り組めるのであれば、きっと必ずうまくやれるだろう。

 

 そのためには、齋藤孝がいうところのミッション、パッション、ハイテンションが備わっていることではないかと思う。

 

 

齋藤孝の「ガツンと一発」シリーズ 第12巻 最終指令 ミッション! パッション! ハイテンション!! (斎藤孝の「ガツンと一発」シリーズ)

 

 これは子供向けの書籍であるけれど、大人でも十二分に読むに堪えるものだ。

 

 ミッションとは「これをする為に生まれてきた」という意味合いもあることはあるが、ここではどちらかというと周囲からの頼み事をまるで「ミッション・インポッシブル」の主人公のように、その頼み事に全精力を注いで、

必ず完遂させるぞぉぉぉおおおおぉぉぉぉぉ!!!!

 という内なる思いを燃やすことだ。

 

 パッションは、キリストの「The Passion」、つまり「受難」のことだ。

 ただの熱情、情熱のことではない。

 自分にとって不都合なこと、理不尽なこと、周囲から罵倒、嘲笑されたとする。

 そこでしょげる、落ち込むというよりかは、「来た! 受難!」と、寧ろ喜ぶような姿勢、心構えのことだ。

 「喜ぶ」というとやや語弊があるが、それは踏まれても踏まれても何度でも立ち上がり成長し、最後は綿毛をどこまでも遠くへ飛ばす蒲公英のように気高く、力強く、七転び八起きするぞという心構えだ。

 

 最後のハイテンションは文字通り、上機嫌でいるということ。

 昔から「笑う門には福来る」というが、上機嫌であることで人は集まり、果てには幸福を最大化し、不幸を最小化する効果があるようだ。

 スターバックスがあれほど人口に膾炙して大人気であるというのは、もちろんラテが んまい だけではなく、居心地がいいだけではなく、何と言っても店員さんがみんな上機嫌でにこやかだからだろう。

 

 この、三つの精神をもちあわせていればこそ、あらゆる艱難辛苦を乗り越えられるというようなことを氏は書いている。

 

 しかしながら、仮にどうしたって許せないこと、耐えられないことがあったとして気持ちよりも先に身体が「壊れる」ということもある。十分に、ある。

 

 そういうときはスパッと「次」へいけばいいのであって、この場合はミッションパッションハイテンションを発揮するというより、決断や切り替えという、それとは別の身体的な「センサー」を稼働させる必要がある。

 

 齋藤孝はミッションパッションハイテンションが全てのような書き方をしてしまっているが、決してそれだけでは事足りない。それではやはり「壊れる」恐れがあるのだ。

 「なんだかおかしくないか?」「このままだと体調を崩しそうだな」という身体のセンサーを稼働させておく必要がある。

 

 「壊れない」ためにどうするか?

 「壊れ」る前に、身体的な「センサー」は発動しているか?

 仮に「壊れ」ても、そこからどう回復していくか?

 

 この視点が、齋藤孝の本には欠けている。

 

 仏哲学者のレヴィナスも、「人間はそもそも壊れるものである」と説いている。

 

【現代思想の現在】レヴィナス ---壊れものとしての人間 (河出ブックス)

 

 私は齋藤孝を否定するつもりはない。

 

 齋藤孝の説く三つの精神、ミッションパッションハイテンションは、個人的に大変愛していて、人生の一つの指針としているが、それだけでは足りないのだ。

 

 精神と身体のリソースはどうしたって有限である。

 

 人は必ず死ぬし、愛する人の不慮の事故に立ち直れない友人知人に対して「ミッションパッションハイテンションだよ!」なんてことを説くことはおよそ不可能である。

 

 齋藤孝の三つの精神は、物事に対する向き合い方については大いに適用すべきであるが、人間に対しては、必ずしも適用可能とはならないだろう。

 

 そのことを齋藤孝は承知していたのだろうか?

 

 おそらく彼ほどの人物であれば、そのことは分かっているはずである。

 

 きっと、そのことは子供たちに今後人生経験を重ねるなかで身を以て「分かってもらう」ために、あえてそのことを書かなかったのかもしれない。

 

 つまり、身体的なセンサーというものは教えられるものではなく、経験を積んでいくなかで鋭敏にしていくものなのだ。

 

 身体的なセンサーを鈍感にし、錆らせていってしまうと、人間としての共感能力はもとより、動物的感性、危機管理感性が逓減していってしまう。

 

 

 「こっちに進んだら何か悪いことが起きそうだな。」

 「あの人たちの横を通るとなんだか絡まれそうだな。」

 「ここにいるとなんだか身体がぞわぞわして気持ちが悪いな。」

 

 この身体的なセンサーを常日頃から鋭敏にしていくことが、動物的にも人間的にも健やかでいられる為の大前提ではないだろうか。

 

 

よ、よっちゃぁぁぁあぁぁぁあぁん!!!!

www3.nhk.or.jp

 

 大丈夫だ、問題ない。

 

 もともと酢っぽいものがあんまり好きじゃないからだけど、(…だから身体堅い) よっちゃんって、そんなに美味しいものでもないと思うんだけどなぁ。。

 

 あ、でもこんな感じで串に通して大量にはいっている感じだと、喰えたな。

 

 

 それは多分、大量に食べるって場合は友達とわいわい食べてたからかもしれないなぁ。

 

 そう考えると、もしも嫌いなものや苦手なものを食べる機会があったとしても、それが友達とだとすると、一人で食べる場合よりもわずかでも美味しく感じられるものなのかもしれない。

 

 友達って、そう考えると偉大だ。

 

 ところで、たらたらしてんじゃねーよもなくなってしまうのかなぁ。。。

  

 

 

肉の油× 魚の油◎ 

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 これは目から鱗

 

 いや、肉の油は明らかに悪い感じは分かっていたけれど、魚の油にはDHAが多く含まれていて、脳の活性化にいいということが改めて分かる。

 

 普段からサプリメントDHAをとっていたけれど、この文章、特に赤線を引いた所を読んで「ハッ!」と思わされた。

 

 この赤線の部分、今後更に心がけたい。

 

マンガとは何か? ━━━佐藤秀峰氏を参考に

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佐藤秀峰『漫画貧乏』p21  佐藤漫画製作所 /漫画onWeb 2014年)

 

 この1ページでもって佐藤秀峰先生のマンガ哲学が分かる。

 

 ずっとブラックジャックによろしくが好きで、他のマンガにはない「何か」にすごく惹かれていた。

 

 「何か」。

 

 それは、少なくてもすごく重大なもので、実際に心理的にズシっと来るものだと。

 

 この1ページに書かれてあることから分かるように、彼のマンガ、海猿ブラックジャックによろしく、そして特攻の島は、登場人物が死ぬ。けっこう、死ぬ。

 

 しかし、それはただキャラクターがあっけなく消えてしまうのではなく、そのキャラの死についての前後背景、エピソード、周囲の反応、登場人物たちの台詞、顔つきなどが、あまりにも、それはもう、あまりにもリアリティーにあふれているのだ。

 

 ここで佐藤秀峰氏が編集者に言われているように、氏のマンガは明るいものではない。

 

 しかし彼のマンガには読者を噛んだり刺したりするようなものがあると思っている。

 

 この1ページの最後に氏が、

 

「僕が読者に与えたいのは現実に立ち向かう勇気です。」 

 

 といっているが、このような信念があるからこそ、氏のマンガは読者に夢を与えるのとは別の仕方で読者に多大なる影響力を及ぼしていることが分かる。

 

 この編集者の台詞からまた、編集部を通過している世の中のマンガ、つまりマンガと名のつくのもののほとんどは読者に夢を与えるものであり、それは言い方を変えれば現実から目をそらさせろということだ。

 

 佐藤氏はもっと過激に「読者に嘘をつくことが商売だと?」といっているが、言ってしまえばそのようなマンガが、いまは主流なのかもしれない。

 

 「インベスターZ」という投資に関するマンガがあるけれど、この主人公が財界のトップのような大御所に対していう台詞として、

 

「だからあなたたちはアメリカに負けるんだ!」 

 

 というのがある。

 

 この台詞を読んだときはあまりにも衝撃的で言葉を失った。

 

 これはリアリティーがあるものだし、佐藤氏のマンガに繋がるものがある。

 

 この台詞だけで持って、現実においてなにかしらの行動の着火点になりうると感じる。

 

 そんな、噛んだり刺したりするようなマンガに、これからも出逢いたい。