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これ、暴言なの? ────齋藤孝を参考に

「脳みそ使えよ」小1児童に暴言 石垣市の女性教諭 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース https://ryukyushimpo.jp/news/entry-561177.html

 

 以上のようなニュースをGoogleニュースで知った。

 

 ファーストインプレッションとしては、

 

「これ、暴言なのか?」

 

 と思われた。

 

 もしこれが「頭使ってよ」だったら、全く問題にはなっていないであろうことは予想できるのだが、「頭」ではなく、「脳みそ」という言い方がよくなかったのだろうか。

 

 「脳みそ」というのは、そもそもが「脳」を自虐的、批判的に表現されているものだから、よくないのかなぁ。。

 

 それにしても、「脳みそ使えよ」程度を暴言とするとは、なんだかハードルがだだ下がりしている感がある。

 

 これが仮に、

「脳みそ入ってんのか?」

「脳みそ腐ってんのか?」

だとしたら、間違いなく暴言だけれど。

 

 いま書いていてふと思ったのだけれど、先生の発言した相手が、小学校1年生だから、ということもあるかもしれない。

 

 ・・・いや、それにしても、先生の発言を「暴言」としてしまったら、彼彼女たちが世の中に出たらもっとひどい暴言に出くわすことがあろうから、今のうちから汚らわしい言葉、というものに接しておくことも一つの社会勉強となるのではあるまいか。

 

 私も小学校高学年のときではあるが、

「バカ」

「ハゲ」

「カス」

「ゴミ」

「クズ」

「使えねぇ」

 などと、クラスメイトに言われて傷ついたことがあったが、その経験があったからこそ、今は仮に暴言を言われてもそれをネタとしたり、逆に相手に向かって笑い飛ばしたりすることができるようになった。

 

 今回のケースはしかし、もちろん発言した本人が「先生」という点が問題であり、「先生」という、生徒から見たら絶対的な、言うなれば神的な立場の人に言われてしまったということが問題となり、Googleニュースにまでとりあげられてしまった結果となってしまったのかもしれないが、汚らわしい言葉それ自体は事実として存在するし、それを言われてしまったときの対処の仕方を身を以て学ぶことが、小学校低学年から訓練していてもいいのではないか、と思うのだ。

 

 要するに、小学校低学年ぐらいからでも「ディフェンス」を鍛えておくことは、今後大人になっていく過程で、必ず活きて役に立つことだと思う。

 

 仮に汚らわしい言葉を言われて心が傷つき、病気になってしまったとしても、その経験が今後の人生に活きていくことは間違いない。

 

 いや、正確には「今後に必ず活かすぞ!」という気概が、まず根本にあることが肝要で、それは小学校低学年からでも鍛えられる。

 

 教育学者の齋藤孝の本に、こんなものがある。

 

 

 私は尊敬する学者が二人いて、ひとりは内田樹なのだが、もうひとりは齋藤孝だ。

 

 彼の書く文章は、簡潔で分かりやすく、それでいて本質的で、そして書き手(齋藤孝)の熱情が、行間からにじみ出ているように感じるから、好きだ。

 

 この本は、言い訳をしないことによって忍耐強くなることができ、忍耐強くなることが、今後の人生でいかに大切かを、齋藤孝が子供たちに語りかけるような文体で書かれてある。

 

 

 言い訳をしないこと、汚らわしい言葉を受けること。

 

 これが、人間が人間として活きていくために、必要な振る舞いではないだろうか。