学んでますか、最近?

飯テロ、ときどき学び系

「あなたに私の痛みがわかってたまるか」を考える。

 

 

 Mr.Childrenの「ランニングハイ」に、こんな歌詞がある。

 


ランニングハイ/Mr.Children

 

「黙ってろ! この荷物の重さ知らないくせして」

 

 唄の冒頭で甲と乙がやり取りする場面で言い争いになる際の台詞だ。

 

 この台詞だけれど、思った以上に深いものではないかと思っている。

 

 世の中の全ての争い、不仲は、 相手に対する不理解(未理解)、不興味(未興味)、相手の立場を思っていないことに因るのではないだろうか。

 

 いや、相手の立場にたって話を、説得をしたところでも、争いはなくならないかもしれない。

 

 それほど、絶対的な平和、愛を確立させることは困難とも言える。

 

 だからといって、あきらめるわけにはいかない。

 

 相手の立場にたっての話に加え、時間をかけて、本気で人を動かそうという気持ちを持ち続ける所に、平和や愛が近づいてくるのではないだろうか。

 

 イチローも、

「何かを長期間、成し遂げるためには、考えや行動を一貫させる必要がある」 

 といっている。*1

 

 「私の気持ちなんて分からないくせに」

 

 という台詞は、喧嘩をしていて関係がいよいよ破綻するときの決め台詞である。

 

 この台詞を言わせてはいけない。

 

 「その人」と仲直りをしたいのであれば、「その人」の話を聞き、共感し、相手の立場に立ち(「もし僕が君だったとしてもやっぱり許せないよ…」など)、その上で、この態度、相手に対する共感の態度を継続させること。

 これが関係改善するためのすべきことではないだろうか。

 

 平和、愛の達成はH・ベルクソンでいうところの『相互浸透』(Pénétration mutuelle 相手が自分に、自分が相手にシンクロする様)を果たすことだとは一般的に思うのだが、他者と自己は置かれている立場も違えば、心境も異なる。

 

 故に、本当の意味での平和、愛の達成のためには、E・レヴィナスが言うところの『他者のために』(Pour l'autre)を果たすことではないだろうか。

 

 『相互浸透』(Pénétration mutuelle)は、他者と自己(主体)は対等な関係にあるが、

 『他者のために』(Pour l'autre)は、自己(主体)は他者に完全に「遅れ」ている。

 つまりは他者と自己(主体)は非対称的なのだ。

 

 平和、愛を達成させるために、『他者のために』(Pour l'autre)を達成させなければならない。

 

 「なければならない。」といったが、本当のところは「したい」という願望、もっと言うと渇望(Désir)してこそ、平和、愛の達成となるに違いない。

 

     そう信じている。