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【孟子】必要な読書とは? ───カフカと吉田松陰を参考に

孟子〈上〉 (岩波文庫)

 

孟子の一節から。

 

孔子の門人〕曾子

注意せよ、注意せよ。自分から出たことは、必ず自分に返ってくるものであるぞ。

 

 

うっ!!!!

 

これは厳密には孟子の言葉ではなく、孔子の弟子の言葉だけれど、この言葉、襟を正したくなる。

 

自分の言葉遣い、大丈夫ですか?

 

友人と話したりするようなとき、特に考えもせずにペラペラペラペラ話してしまうことがないだろうか?

 

私はその傾向が以前は強く、過去に

友情が破綻しかけたことが二度ほどある。

 

その後なんとか修復できたのだけれど、言葉とは恐ろしいものだ。

 

まさにここで曾子がいっているように、必ず自分に返ってくるものだった。

 

それにしても、

孟子を読んでドキッ!

とさせられるなんて、今まで想像すらできなかった。

 

急に話が飛ぶが、フランツ・カフカをご存知だろうか?

 

城 (新潮文庫)

 

この大作家が、友人オスカー・ポラックに宛てた手紙に、このようなことが書かれてある。

 

僕は、自分を噛んだら刺したりするような本だけを、読むべきではないかと思っている。

もし僕らの読む本が、頭をガツンと一撃して、僕らを目覚めさせてくれないならば、一体なんのために僕らは本を読むのか?

僕らを幸福にするためか?

やれやれ、本なんかなくたって僕らは同じように幸福でいられるだろうし、僕らを幸福にするような本なら、必要とあれば自分で書けるだろう?

いいかい、必要な本とは、

自分をこの上なく苦しめ、痛めつける不幸のように、

自分よりも愛していた人の死のように、

全ての人から引き離されて、森の中へ追放された時のように、

自殺のように、

僕らに作用する本のことだ。

本とは、自分の内なる氷結した海を砕く斧、でなければならない。

 

フランツ・カフカ 親友オスカー・ポラックへの手紙 1904年 1月27日  太字の強調は私アカツキによるもの。)

 

特に太字にした部分は、かの村上春樹も好きなようで、彼が小説を書く上での指針にしているという。

 

話を戻す。

 

この、カフカの言うところの「必要な本」の条件に、まさに孟子は当てはまるのだ。

 

吉田松陰も、牢屋で孟子を語ったというが、それをまとめた本のタイトルは、講孟箚記という。

講孟箚記(上) (講談社学術文庫)

 

講孟箚記というタイトルの意味は、こうだ。

 

孟子を講義することで、心に突き刺さるものを教え伝えたいことを記す。

 

吉田松陰も、孟子が人を突き刺す何かがある、と感じていたのだろう。

 

…やはり孟子は研究しがいがある!